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考古学は皇国史観歴史や日本歴史とはまったく

考古学は皇国史観歴史や日本歴史とはまったく別個の存在であったために、天皇制と軍国主義は、考古学を活用する場を探し出すことができなかった。こういう中で、考古学は「研究の自由」を保証され得たし、抑圧の中に「自由」を享受した。

それに対して、アジア各地へ出て行く日本人学者の考古学研究はどうであったか。そこには、興亜院・外務省・朝鮮総督府・当時の満州国・満鉄・関東軍の援助があった。これらの調査研究も、また、神国的・侵略的史観に抵触しない限り「自由」が保証された。中国学者と一部との合作を企画して結成された東亜考古学会も、学者のあるべき姿として評価された。考古学者自身も、純粋な研究のため、いろいろな制限からの開放を願い、進んで大陸に出かけていった。 [5]
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宮崎県の西都原古墳群の発掘が県知事の発案で1912年(大正元年)から東京帝国大学(黒板勝美)と京都帝国大学(喜田貞吉・浜田耕作)の合同発掘が行われた。1917年(大正6年)京都大学に考古学講座がおかれた。浜田耕作を中心に基礎的な古墳研究が始まった。考古学における大正時代は、古墳研究の基礎資料の集積時代であった。

20世紀の間に、都市考古学や考古科学、のちには「救出考古学」(レスキュー・アーケオロジー、日本でいう工事に伴う緊急発掘調査を指す)の発展が重要となった。

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2009年06月29日 22:13に投稿されたエントリーのページです。

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