2009年06月29日

考古学は皇国史観歴史や日本歴史とはまったく

考古学は皇国史観歴史や日本歴史とはまったく別個の存在であったために、天皇制と軍国主義は、考古学を活用する場を探し出すことができなかった。こういう中で、考古学は「研究の自由」を保証され得たし、抑圧の中に「自由」を享受した。

それに対して、アジア各地へ出て行く日本人学者の考古学研究はどうであったか。そこには、興亜院・外務省・朝鮮総督府・当時の満州国・満鉄・関東軍の援助があった。これらの調査研究も、また、神国的・侵略的史観に抵触しない限り「自由」が保証された。中国学者と一部との合作を企画して結成された東亜考古学会も、学者のあるべき姿として評価された。考古学者自身も、純粋な研究のため、いろいろな制限からの開放を願い、進んで大陸に出かけていった。 [5]
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宮崎県の西都原古墳群の発掘が県知事の発案で1912年(大正元年)から東京帝国大学(黒板勝美)と京都帝国大学(喜田貞吉・浜田耕作)の合同発掘が行われた。1917年(大正6年)京都大学に考古学講座がおかれた。浜田耕作を中心に基礎的な古墳研究が始まった。考古学における大正時代は、古墳研究の基礎資料の集積時代であった。

20世紀の間に、都市考古学や考古科学、のちには「救出考古学」(レスキュー・アーケオロジー、日本でいう工事に伴う緊急発掘調査を指す)の発展が重要となった。

2009年06月12日

学習も人工意識が備えるべき能力である

学習も人工意識が備えるべき能力である。サセックス大学の Ron Chrisley のまとめた "Engineering consciousness"[8] によれば、意識とは、自己、透過性、学習、計画、ヘテロ現象学、信号の区別、行動選択、注意、タイミング管理から構成される。ダニエル・デネットは "Consciousness in Human and Robot Minds"[9] の中で「未成熟なロボットが意識を持つように育てる方が、事前に全ての用意を整えるより簡単だろう」と述べている。彼はロボットの意識について「サイズは大人であっても、最初から成熟してはいないだろう。それは人工的な幼少期を経るよう設計され、その間、現実世界の入り乱れた環境で得るであろう経験から学ぶ必要があるだろう」としている。そして、「人間と自然言語で対話できるエージェントは、世界中の知識のうち数百億の項目は多すぎるにしても数百万の独立な項目にアクセスできなければならないことは間違いない。ダラスのダグラス・レナート率いる Cycプロジェクトが行っているような人間のプログラマによるコード化がその手段かもしれないし、人工エージェントが実世界と実際にやり取りして知識を獲得する新たな方法が見つかるかもしれない」と述べている。学習に関する興味深い論文として、Axel Cleeremans(University of Brussels)と Luis Jiménez(University of Santiago)の "Implicit learning and consciousness" [10] がある。そこでは、学習を「系統発生的に発展した適応プロセスの集合であり、経験への感度に強く依存していて、複雑で予測不能な環境でエージェントが行動を柔軟に制御することを可能にするもの」と定義している。
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「期待; Anticipation」はマシンに意識があるように見せるのに使われる特徴である。人工意識を持つマシンは期待される事象に対して対応する準備ができていなければならない。これが示しているのは、マシンがリアルタイム性を備えていなければならないということであり、それによってマシンが現在意識を持っているということを証明できる。そのためには、マシンを検証するには現実世界をシミュレーションするために予測不能な環境の中で動作させなければならない。

ジョン・マッカーシーは「人工知能プログラムが汎用性に欠けているために苦しんでいることは、1971年時点はおろか、1958年時点でも明らかであった」と述べた。「汎用性; Generality」は人工知能だけでなくむしろ人工意識にとって重要な特徴と言える。

2009年04月24日

新しい戦略

1856年9月、ウィリアム・S・ハーニー准将は連邦軍の指揮官としてフロリダに戻った。彼は第2次セミノール戦争で学んだ教訓を覚えていて、フロリダ中に並べた砦のシステムを設置し、巡視はセミノールの領土深くに移動した。彼は、セミノールをビッグ・サイプレス・スワンプとエバーグレーズに制限することを計画していて、彼らは雨季の間そこに住むことができないと信じていた。彼らが水浸しになった土地から作物が育つ乾いた土地に移動したとき、インディアンを捕らえることができると予期した。ハーニーの計画の一部は、湿地帯の島と他の乾いたスポットに到達するためにボートの使用を伴った。彼は、最初に、セミノールと交渉するもうひとつの試みをしたが、彼らに接触することができなかった。1857年1月上旬、彼は、活発にインディアンを追跡するように軍に命令した。しかし4月に、ハーニーの計画は、カンザス州での暴動(en:Bleeding Kansas)を救うために彼と第5歩兵隊がカンザスに移動する時まで、わずかな結果しか示していなかった。
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ガスタウス・ルーミス大佐は、フロリダでハーニー司令官の後任の指揮官となったが、第5歩兵隊の退出は、彼に第4砲兵隊の10の中隊だけを残した(第4砲兵隊は後でちょうど4つの中隊にまで減少した)。ルーミスは、ボート中隊に志願兵を組織し、特にビッグ・サイプレス・スワンプとエバーグレーズで使用するために、建造されていた金属製の「アリゲーター・ボート」はこの中隊に与えられた。両端からの全長は30フィート(9m)で、最大16人の兵士を湿地帯の中に乗せることが可能だった。これらのボート中隊は、多くのインディアン、主として女性、および子供を捕らえることができた。正規軍はうまくいかなかった。アブナー・ダブルデー(en:Abner Doubleday)大尉を含む将官の中には、セミノールが容易に陸軍巡視を避けたのを観測した人もいた。ダブルデーは、これを下士官兵の大部分が森林における技能を全く持っていなかった最近の入植者であったという事実の結果と考えた。

1857年に、フロリダ民兵の10個の中隊は、9月までに合計およそ800名の兵士が連邦の任務に連れていかれた。11月、これらの軍は、ビリー・ボウレグスの一団の、18名の女性と子供を捕らえた。また、軍は、発見されたいくつかの町と耕作地を破壊した。軍は1858年の元日に、ビッグ・サイプレス・スワンプに移り始め、再び発見した町と耕作地を破壊した。インディアン準州からの別の代表団は、1月にフロリダに到着して、ボウレグスに連絡することを試み、連絡が取れた時に軍は撤退した。前年に、最終的にインディアン準州に、クリーク族とは別々の彼ら自身の居留地をセミノールに与えた。それぞれの戦士に500USドル(酋長はそれ以上)、各女性には100USドルの現金の支払いが約束された。3月15日に、ボウレグスとアッシンワーの一団は申し出を受け入れ、西部へ行くことに同意した。5月4日、合計163名のセミノール(より早く捕らえられた者を含む)を、ニューオリンズに送還した。1858年5月8日に、ルーミス大佐は、戦争は終結したと宣言した

2009年04月06日

アイルランド音楽

アイルランド音楽(-おんがく)とは、アイルランドに住む人々、ならびにそれ以外の国に住むアイルランド系の人々がアイルランド音楽と認識して作曲あるいは演奏する音楽である。

アイルランドの音楽は、アイルランド民族の海外流出やイギリスやアメリカから受けた影響などがあるものの、その伝統的な側面はいまだ強く残されており、むしろアイルランド音楽自身もまた多くの音楽に直接的・間接的に影響を与えてきたと言える。20世紀のロックはアメリカのカントリー・ミュージックから強い影響を受けているが、カントリー・ミュージックもアイルランド音楽を起源のひとつとして持っている。伝統音楽だけでなく現代音楽の分野でも非常に豊かであり、その中にはアイルランド旧来の音楽性に執着しようとする動きもあるが、アイルランドの国内ですらあまり強い注目を受けておらず、それゆえに伝統音楽ほどには海外に伝播してはないのが現状である。

また、アイルランド音楽が直接ロックやパンク、その他と結びついて現代化された物がアイルランド内外で大ヒットする事もある。実際、70年代から80年代にかけては、伝統音楽とロックの境界線は不鮮明なものであったが、その際に多くのミュージシャン達がこの2スタイルの垣根を超えて融合しようとする創作を当然のように行ってきた(この傾向は、近年でもU2やホースリップス、クラナドなどに見受けられる)。しかしながら、ことアイルランド音楽の場合は、結局は新しいものに取って替わるよりもその原点へと回帰しようという動きも非常に活発であった。

日本では他のケルト圏の音楽と共にケルト音楽とまとめて呼ばれることも非常に多いが、アイルランド音楽はそれ単独でジャンルとして成立しており、またアイルランド人のアイデンティティーや文化に強く由来している性質上、こうした「ケルト」という括りを忌避する向きもあることは念頭に置いておくべきである。

アイルランドの伝統音楽は、16世紀頃から流行したリールやジグなどのダンスと、そのための舞曲、無伴奏の叙事詩歌や抒情詩歌、子守唄などの古いジャンルと、アイルランドから他国へ移民する者たちが歌った歌、民族紛争時代に歌われた反戦歌などの新しいジャンルから構成されている。中でもダンス曲は大きなウェイトを占めている。

伝統音楽は古くから口承で伝えられてきており、18世紀あるいはそれ以前の譜面も数多く存在するが、近年まで楽譜などの形で書き下ろされることはあまりなかった。口承という性格上、同じ曲でもそのメロディは地域によって、また演奏者によって微妙に異なっていることが多い上に、同じ演奏者であっても、演奏する場所、状況によって、あるいはその時の気分によってメロディは異なる。これは、曲の根本的なメロディは、おおまかなアウトラインであり、それをどのように解釈するかは個人に任せられていることを意味している。

アイルランドでは伝統音楽は生活と密接に結びついており、路上や家庭など至る所で音楽の演奏が聴ける。特に今日ではパブでのセッションが広く愛好されている。地元のパブでは、夜になると自分の楽器を持ち寄ってセッションを行う。2人以上集まれれば、そこは音楽の場となる。そこでは、お互い知っているレパートリーや有名な曲を合奏し、一般的に1つ曲を3ループくらいすると、それだけではおわらせずに同じ形式の曲を大抵2つほどつなげて演奏する。パブで音楽演奏が解放されたのは、19世紀と考えられている。パブは多くの優秀なミュージシャンを輩出した下地であり、ミュージシャンが演奏を行なうことは歓迎されている。

和声はシンプルなものが奨励されるが、大半のアイルランド音楽のメロディーの構造関係上、コード進行が常に「I-IV-V」などの単純なものになるという訳ではない。基本的にメイン楽器を追従する形で完全1度で他の楽器が加わる事が多く、本格的な対位法などは他の民族音楽とよろしくあまり見られないものではあるが、即興での対旋律などはしばしばギターやブズーキによる伴奏の中に見受けられる。

今日、パブでセッションを行なうという行為は多くの国で人気があり、アイルランド人のみならず、それぞれの国のミュージシャンたちによって愛好されている。

今日、アイルランドの伝統音楽を演奏するための楽器として好まれるものはあっても、特定されているものはない。演奏するために必要な音階を備えた楽器であれば、どんなものでも参加を認められるし、また実験の対象になる。以下に挙げる楽器は代表的なものであるが、ピアノやジェンベ、サックスなどが取り入れられる例もある。ギターやブズーキなどは1930年代?1960年代後半にかけて実験的に導入された新参の楽器であるが、ティン・ホイッスルやアコーディオンといった代名詞的な楽器ですら、19世紀頃から導入されたものである。最も古くから取り入れられている楽器はイリアン・パイプスやフィドルなど。それでも、17世紀頃からである。

現在アイルランドの国章になっているハープが最も古い楽器だが、ダンス音楽で用いられるようになったのは最近のことである。
弦楽器(擦弦、発弦を含む)
ヴァイオリン(フィドル)
ギター
ブズーキ
マンドリン(フラットマンドリンの方がより広く使われる)
バンジョー(テナーバンジョーの方がより広く使われる)
ハープ
管楽器
ティン・ホイッスル
ロー・ホイッスル
アイリッシュ・フルート
イリアン・パイプス (バグパイプ)
リード楽器
アコーディオン
コンサーティーナ
打楽器
バウロン
ボーンズ

スキミン ソーター ブロッキ レニア ツーリング ナスカ イジェクト ビッグ カット 管弦楽団 ユース イブ日本 バンコ ゾーニング フルスピ モンテ サクラ キット モメンタム スラング 波間 ヒロポン ハシソウ プレース ジャル めんだ トラベラ パロディ タイプ オーバー ウィグ パキラ そらち ダラー シロッコ バーベナ ダーク フリー スーツ マウス ネクタ ネチズ ヨット バリ デリン ブルーデー フェルト イーブン ブライ にしままい

2009年03月22日

1980年代半ばにはNゲージブームと呼ばれた社会現象

1980年代半ばにはNゲージブームと呼ばれた社会現象は終息しNゲージの販売は急速に落ち込んだ。そのためNゲージから撤退するメーカーも現れた。永大製品を統合した学研は1980年代半ばにNゲージから撤退、エンドウ、ナカセイ (←中村精密)も1980年代半ば以降新製品の発売がなく、製品の再生産と市場流通も1990年ごろには途切れ店頭から姿を消していった。
スイート ビジブル 神の蔵 梅最適 ノマド 天空の城 ほない スポー メセナ ノーブル ルピア レシピ ビーエル ナビサド インテーク オーバー ベックス イッシュー ムラグ おのいして ガーベラ バターケ ピッチ リアフレ デルレイ ソシオ ひるぜん ストロ ビジョナリー ミブーツ デポジット フレッ シンフ マザー ウルク たつごう キヨス モルツ トゼブラ シェルタ マホメ ふたみ せっさ マヌカン レクチン クロヨン プラグ ナッシ トーチ リョウ

一方ブーム終息後も、2大Nゲージブランドとして定着した関水金属とトミー、プラキットのメーカーとして独自の地位を築いたグリーンマックスが安定した活動を続けていた。

いわば停滞・調整期のこの時代に、プラスチック製品の間隙を縫う形で広がったのが金属キットである。「シバサキ模型」は1984年にKATO製キハ20をキハ10に改造する真鍮エッチング板を発売してメーカーとして名乗りを上げ、それ以降1986年の「ワールド工芸」、1987年の「レイルロード」、そして「タヴァサホビーハウス」、「ペアーハンズ」がこれに続いた。これらのキットのほとんどはエッチング技術を駆使したものであり、小売店が自社製品として自律的に発売したものも少なくなかった。内容的にも当初の側板のみ・車体のみという構成のキットに加え、下回り・動力込みのトータルキットも現れた。ことにワールド工芸は、倒産したしなのマイクロに代わり、細部表現にも留意した旧型電気機関車を続々とリリースして行った。

1990年代に入っても金属キットの分野は引き続き活発で、その発展の礎を築いたシバサキ模型は1993 年の新製品を最後に閉店・廃業したが、「スタジオフィール」など実力派の新規参入や新製品の発売が相次いだ。1995年11月にはNゲージファンのための即売会形式のイベント、第一回JNMAフェスティバルが開催され、プラスチック完成品にはない様々な製品を購入できる場として話題を呼んだ。以後JNMAフェスティバルは毎年開催されている。新たな販売機会の提供を受け、それまでのメーカー・模型店よりも規模の小さなグループや個人も参入し始めた。こうした小メーカーの製品はガレージキットとも呼ばれ生産数も少ないため、即売会などのイベントや特定の販売店、通信販売などでしか手に入らないものも多い。中には「キッチン(kitcheN)」や「銘わぁくす」のように恒常的に製品化を続け、中堅キットメーカーなみの製品数を数えるところもある。

金属キットの浸透は金属工作に慣れ親しんできた他のゲージ/スケールのファンをNゲージに呼び込んだが、完成品で楽しむことに慣れた従来からのファンの反応は複雑で、「欲しい形式のキットが発売されたのはうれしいが、慣れない金属キットを組み立てられるか不安」という声も聞かれた。ニーズに応えて特製完成品を用意するメーカーもあり、中でも「ワールド工芸」は完成品の製造・販売に力を注ぎ、その工芸品と呼びうる出来映えによって金属完成品メーカーとしても認められるようになった。加えて90年代末期からは蒸気機関車のモデルを中心に市販のプラ製品には無いディディールをもつ細密製品として金属完成品を製品化する動きも見られる。新たな参入メーカーにはHO/16番ゲージのメーカーとして著名な天賞堂など、他のスケール/ゲージで実績を積んだメーカーが多い。

しかしプラスチック製品の大量生産を行うNゲージメーカーが三社だけになった訳では無かった。まず特記すべきは「マイクロエース」=「有井製作所」である。同社は1990年代初頭に10系客車を再生産して健在を示していたが、90年代中頃に至りアメリカ型の機関車・貨車を発売、話題となった。これらはアメリカ「ライフライク」の製品のOEMで中国で生産されたものであった。さらに1996年には国鉄D51形蒸気機関車を発売、以後コンスタントに国鉄型蒸気機関車を製品化していった。これらの製品が中国製なのはライフライクの生産方式の影響である。なお、同社の名称であるが1980年初頭の発足時は株式会社マイクロエース、1980年代後半の10系客車再生産以降は発売元として有井製作所の名前が明示され、マイクロエースはブランド名となった。これが長く続いた後、現在は有井製作所が社名変更したため、再びマイクロエースが会社名となっている。

新規メーカーとしては1990年代初めにプラモデル・情景素材メーカーの「河合商会」がトミーが絶版としていた香港製貨車シリーズを自社製品として発売し参入している。

さらに90年代後半にはプラモデルメーカーである「ハセガワ」が「MODEMO」のブランドでHO/16番ゲージに続きNゲージにも参入した。旧型客車や路面電車などの他社とは競合しないジャンルで地味ながらも勢力を広げている(ただし旧型客車はナカセイのキットの金型を使用し、完成品としたもの)。「ウィン」が塗装済みプラキット、レイアウト用品の発売で知られた「津川洋行」が情景用の非動力完成品を発売したのもこの時期である。

20世紀最後の年である2000年にはこれまで鉄道模型、とりわけNゲージではほとんど見られなかったレジンを素材として使った製品がキットや完成品として複数のメーカーから発売された。その特性上少量生産の製品が多かったが、「プラッツ」など一部のメーカーの製品は市場にも流通した。この素材が一過性のものとして終わるのか、定着するのか今後の動向が注目される。

2009年03月07日

ボーグ (護衛空母)

ボーグ(USS Bogue, AVG/ACV/CVE/CVHP-9)は、アメリカ海軍の護衛空母。ボーグ級航空母艦の一番艦。元はAVG-9として分類されたが、1942年8月20日にACV、1943年7月15日にCVE、1955年6月12日にCVHPに艦種変更された。

艦歴
ボーグは海事委任契約の下ワシントン州タコマのシアトル-タコマ造船でスティール・アドヴォケート(船体番号170)として起工した。1942年1月15日にW・ミラー・ジュニア少佐夫人によって進水し、5月1日に海軍に転籍、9月26日にG・E・ショート艦長の指揮下就役した。
ピンク バター 天使ノタ マルチ 華の段 メロン カーリング ゲットー バイオガス ハンカチ ハンドマ チューリン バナナ レパシー サープラ ロザリ キンリー ウエス シェリフ アンソ チェロ さらくやし ピーエル ギング モノキ トリポ ラップカ ハイデ 枸橘 高麗人参 リベラル ワイル ブレーキ ちょうせき トレーダー カモミー アージュ リム いっきく おのえ フィナーレ ゴニウム ノギス ソフト スポイル マベパール ラクトース きわの マフィン ングイン

広範囲に及ぶ整調航海および補修の後、ボーグは1943年2月に大西洋艦隊に加わり初期のアメリカ海軍対潜水艦戦闘グループの核として活躍した。1943年3月から4月にかけて北大西洋を横断したが大規模な戦闘には遭遇しなかった。4月22日に四度目の横断に出発し、5月22日に艦載機が西経35°21′、北緯50°40′の水域で U-569 を撃沈したのが最初の戦果であった。五度目の北大西洋巡航で二隻のドイツ潜水艦、U-217を西経42°50′、北緯30°18′の海域で6月5日に、U-118を西経33°49′、北緯30°49′の海域で6月12日に撃沈している。7月23日、七度目の巡航中に艦載機がU-527を西経27°56′、北緯35°25′の海域で撃沈、ボーグを護衛していた駆逐艦ジョージ・E・バジャー(USS George E. Badger, DD-126)もU-613を撃沈している。

ボーグは八度目の巡航で三隻のUボートを沈め、最も戦果を挙げた。1943年11月29日に艦載機でU-86を西経19°01′、北緯39°33′の海域で撃沈、12月13日にU-172を艦載機と駆逐艦ジョージ・E・バジャー、デュポン(USS Du Pont, DD-152)、クレムソン(USS Clemson, DD-186)、オズモンド・イングラム(USS Osmond Ingram, DD-255)と協同して西経29°58′、北緯26°19′の海域で撃沈、12月20日に艦載機でU-850を西経37°01′、北緯32°54′の海域で撃沈している。

スコットランドのグラスゴーに陸軍の戦闘機を運搬した後、1944年1月から2月にかけて休息を取ったボーグはその後任務に復帰し、3月13日にイギリス空軍機、護衛駆逐艦ヘイバーフィールド(USS Haverfield, DE-393)、駆逐艦ホブソン(USS Hobson, DD-464)、カナダの武装商船プリンス・ルパート(HMCS Prince Rupert)と協力しU-575を西経27°34′、北緯46°18′の海域で撃沈している。

1944年5月5日、ボーグとその護衛艦はバージニア州ハンプトン・ローズを出港し二隻の敵潜水艦を捕捉し、7月2日まで巡航を行った。護衛艦の一隻、護衛駆逐艦フランシス・M・ロビンソン(USS Francis M. Robinson, DE-220)は5月13日に北緯18°08'、西経33°13'で日本海軍の潜水艦呂-501(元ドイツ海軍潜水艦 U-1224)を撃沈した。6月24日にはボーグの艦載機が伊-52を西経39°55′、北緯15°16′の海域で撃沈している。続く7月24日から9月24日までの巡航でボーグの艦載機は8月29日にU-1229を西経51°39′、北緯42°20′の海域で撃沈した。

1944年9月に本国に帰還したボーグは、バミューダおよびロードアイランド州クオンセット・ポイントでの訓練任務に就き、1945年2月まで同任務に従事後、陸軍機を搭載しイギリスのリヴァプールに向かう。1945年4月には再び対潜水艦戦任務に就き、4月24日には僚艦多数と共にU-546を撃沈した。これはボーグおよびその艦載機による最後の戦果であった。

大西洋の戦いが終了すると、ボーグは太平洋に移動し1945年7月3日にサンディエゴに到着する。その後グアムに向けて出港し、7月24日に到着した。その後アラスカ州エイダックに8月19日から9月6日まで訪れ、続いて太平洋から帰還兵を輸送するマジック・カーペット作戦に参加した。ボーグは1946年11月30日にワシントン州タコマで退役し、予備役艦隊入りした。

2009年02月18日

冤罪 eine falsche Beschuldi-gung

アドベンチャーゲームのフォーマットに則り、フラグを立てていくことで物語が分岐したり、登場人物との関係に影響を及ぼしたりする。最終目的はガイズの釈放であるが、カップリングによっては叶わないこともある。定期的に呑んだくれの弁護士ルスカが現れ、面会の機会が訪れる。
ワンス ボデオ モンクレ シガト ドレア パーコレ スタート メジャー ピーエイ ソフトダ ロッド たむぽえ フレム パンジー 羅生門 ブリスベ 便利に イチゴ ストッ ニット えいか ハンド ジース カーネリ ドラー あいら パンゲア オブラ ジンサ スカジー ドルペッグ うたまくら えいこう モルディブ たいゆう ニオブ 美女と野獣 ドーマ トップ トパイ ダウンベ ナビルポ ナトリ ろぎょ オーニソム 雪舞い マルチ タイトルラ トリ キャメ

エンディングの種類は豊富である。ボーイズラブゲームに限らず、一般に恋愛ゲームなどの場合、キャラクターのカップリングの数に加えて、それぞれのグッドエンドとバッドエンドが用意されているものが多い。本作もその例に漏れないが、それ以外にどのキャラクターとも結ばれず、衝動的に主人公ガイズが脱獄を図り、処刑される場面が数ヶ所存在する。そこに到る物語の流れに応じて、何による衝動なのか、また、処刑される瞬間といった展開にはバリエーションが見られる。これらはいずれもバッドエンドにも数えられておらず、イベントコンプリートの記録にもならない。選択肢を誤ったり、フラグ未成立によるルートで発生し、ゲームオーバーを意味する不幸なイベントである。
ガイズ(声:天野たつき)
主人公の少年。突然の嵐の日に仲間と雨宿りをした店で万引きをし、逮捕される。しかしその取調べの過程で身に覚えの無い殺人の罪をなすりつけられ、刑務所へと送られる運命となる。
ギルディアス(声:有馬克明)
ガイズを逮捕した警官。物言いは淡々としているが冷酷非道な性格の持ち主でもある。
天空の城ラピュタのムスカを彷彿させる性格や風体であり、実際、ムスカとよく似たセリフも登場することから、モデルになっていると思われる。
ルスカ(声:世良公一)
昼間から酒を浴びている呑んだくれの弁護士でガイズの事件を担当。しかし嘗ては敏腕弁護士としてその名を轟かせていた過去を持つ。
デューラ(声:杉崎和哉)
刑務所の看守で、囚人をいたぶり、辱めを受けさせるのを趣味とする。ガイズは刑務所に送り込まれて早々、怪しいものを持っていないか取り調べをするという名目で辱めを受け、レイプされそうになる。
ジョゼ(声:富士爆発)
我が物顔で刑務所を歩く囚人の一人。他の囚人を性欲の捌け口に使うなどしており、ガイズはあやうくデューラに犯されずに済むものの、結局彼をはじめとするその仲間たちに好き放題の玩具にされてしまう。
エバ(声:一条和矢)
政治犯として捕まっている元記者の男。刑務所内ではガイズの兄貴分のような役割を演ずる。過去にルスカとの関わりがある。
ヴァルイーダ(声:羽吹梨里)
何を言ってもまともな答えをしない幽霊のような側面と、豊富な知識と分析力を兼ね備えた姿を持つ、二重人格を負う元軍人。軍法裁判のもと、刑務所に留置されている。
イオ(声:葉月嵐)
ガイズと同い年くらいと思われる囚人の少年。気が弱く、しばしばジョゼに苛められ、また、彼の使いっ走りとして使われている。
ベルベット(声:葉月パル)
長い年月刑務所に囚われていたためか、自らを王であると名乗るなど、意味不明の言葉を放つ狂人。髪を腹のあたりまでのばしたまま切らず、一見すると不気味な印象を受ける。チョコレートが大の好物。
ボルアネ(声:杉野博臣)
デューラの父親で警察大臣。軍人時代にヴァルイーダが何かの秘密を知っていると信じて疑わず、自供させるために陵辱と拷問を繰り返す。
ミュカ
ギルディアスがガイズを陵辱する際に時折つぶやく名前。ガイズが殺したとされる男が調べていたらしく、また、ガイズにも心当たりのある名前だが思い出せない。
シオン(声:山賀弘一)
隠れキャラクターであり、エンディングを1つ以上見ることで登場が解禁される。このため、他のメインキャラクターとの接触が特に存在せず、素性はよくわからないが料理が得意であるらしい。

冤罪 ギルディアスの陰謀
OVA第1巻。ゲーム本編の前半を30分にまとめたアニメーション作品。
物語を完結にするためにいくつかの変更点が見られるが、大筋はほぼ原作に沿ったものとなっている。
展開を簡潔にするため、原作ゲームではエバに協力してもらいつつルスカと事件や冤罪の真相を暴いていく主人公を中心とした物語を、カイズを文盲であるという設定に変更してエバとルスカが独自に調査を進めるという流れに再構成されている。
作画には難有りという評がある。
冤罪 自由と解放を求めて…
OVA第2巻。ゲームの真相ルート後半を再構成した内容であり、第1巻の続編。
30分という時間にまとめるために、原作ゲームに比べて展開は極めて早く、変更点もかなり見られる。この結果、原作ゲームを知らないと伏線の理解が難しい内容となっている。
スタッフロールのエピローグシーンはシオンルートを元に、解放後の皆の姿が描かれており、この中で、原作ゲームでは中盤で命を落とすベルベットが舞台役者として活躍するなど、プレイ済みのユーザーを意識した、ファンサービス的な演出を盛り込んでいる。回想シーンではあるが生前のミュカの姿も登場する。
なお、作画は第1巻に比べて格段に向上している。

2009年01月28日

富山の役

富山の役(とやまのえき)は、天正13年(1585年)8月、羽柴秀吉(1586年豊臣贈姓)率いる大軍が佐々成政が立て籠もる越中国富山城を包囲し、降伏させた戦い。北国御動座、越中征伐、佐々成政征伐ともいう。
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富山の役
戦争:戦国時代
年月日:(1585年8月)
場所:越中国富山城
結果:佐々軍の降伏 羽柴軍の勝利
交戦勢力
羽柴軍 佐々軍
指揮官
羽柴秀吉
織田信雄
織田信包
前田利家
丹羽長重
細川忠興
金森長近
蜂屋頼隆
宮部継潤
池田輝政
稲葉典通
森忠政
蒲生氏郷
木村重茲
中村一氏
堀尾吉晴
山内一豊
加藤光泰
九鬼嘉隆
上杉景勝 佐々成政
姉小路頼綱
内ヶ島氏理
戦力
100,000 20,000
損害
- -
豊臣秀吉の戦闘
備中高松城 - 山崎 - 賤ヶ岳 - 小牧・長久手 - 紀州 - 四国 - 富山 - 九州 - 小田原 - 文禄・慶長の役
小牧・長久手の役に政治的勝利を収め、徳川家康を屈服させた秀吉は、この戦いで徳川方についた諸将への討伐を開始する。6月、秀吉は弟・秀長を総大将に四国の長宗我部元親を攻め、これを降した(四国の役)。7月には関白に就任し、未だ反抗を続ける佐々成政を討伐するため、8月8日、自ら大軍を率いて京を出陣した。

対する成政は、越中国内三十六の諸城塞から全ての兵を引き揚げ、富山城に集中配備し、秀吉の来襲に備えた。8月20日、越中に入った秀吉軍は国内の要所を放火して周り、富山城を包囲した。越後の上杉景勝もこれに呼応して兵を出し、成政の同盟者、飛騨の姉小路頼綱も、金森長近率いる別働隊によって征伐され、成政は孤立無援となった。

しかし神通川の流れを水濠に引き込み、「浮城」の異名をもつ富山城を攻めるのは難しく、秀吉は得意の水攻めで攻略するつもりでいたともいわれる。またこの時暴風雨が野営中の秀吉軍を直撃し、大きな被害が出ている。

しかし、成政は衆寡敵せずとみて8月26日には織田信雄を仲介に早々に降伏を申し出ている。29日、成政は剃髪して恭順を表し、秀吉本陣を訪れた。秀吉はこれを許し、越中新川郡を除く全ての所領を没収して富山城を破却し、これを前田利長に与えた。成政は妻子と共に大坂に移され、御伽衆として秀吉に仕えた。

この戦いでは大きな合戦は殆どなかったが、佐々軍が丹羽長重の陣に夜襲をかけたとする記録があり、また前田家臣が戦後に戦死者の供養をしていることなどから、小規模な合戦はあったようである。

四国征伐(しこくせいばつ)は安土桃山時代の1581年(天正9年)から1582年(天正10年)にかけて行われた、織田信長と長宗我部軍の戦いの総称、そして1585年(天正13年)に行われた、羽柴秀吉と長宗我部軍との戦いの総称である。 南海征伐とも言う。

また、"征伐"は攻められた四国側の見地に欠けた侮蔑的表現であるため、四国攻めなどと表記するのがふさわしい。

第一次四国征伐
四国では、土佐から起こった長宗我部元親が勢力を拡大しており、阿波の三好氏を圧迫していた。中央では織田信長が信長包囲網に加わる三好氏と対立していた。対三好氏で一致した両者は友好関係を成立させた。信長は元親の嫡男信親に自らの諱の「信」の字を与えている。

しかし信長が三好義継を滅ぼすと、三好一族である阿波の三好長治やその弟で讃岐の十河存保が信長と和睦したために、両者の関係は微妙なものとなる。長治が阿波の統治に失敗し、混乱するのを見た元親は1575年(天正3年)阿波へ侵攻。翌年には長治の異父兄細川真之とともに長治を滅ぼした。このため細川真之と十河存保の関係は悪化し、元親につけいる隙を与えてしまう。元親は讃岐の有力国人香川氏に次男を養子に送り込むなどして阿波・讃岐への勢力を伸ばしていった。

一方、三好一族で河内高屋城主であった三好康長は信長に臣従していた。康長は四国に隠然たる影響力を持っており、信長は康長を利用しての四国平定を考えるようになる。天正8年(1580年)、信長は元親に土佐と阿波のうち二郡の領有を認めるとして上洛を命じた。元親がこれを拒否すると、1581年(天正9年)、四国征伐の先鋒として三好康長が四国へ渡り、十河存保らとともに長宗我部氏を攻撃した。1582年(天正10年)、甲斐の武田氏制圧を終えた信長は、織田信孝を総大将とする本格的な四国征伐軍を編成した。

四国統一
しかし6月には信長が本能寺の変で明智光秀に討たれてしまう。三好康長は河内へ引き上げ、京都に近かった信孝らの兵も羽柴秀吉とともに光秀討伐に加わり、四国征伐は中止される。本能寺の変の翌日が本軍の出発日であったことから、近年では、四国政策の転換を本能寺の変の原因とする説も浮上している。(光秀は長宗我部氏との交渉に当たっており、元親夫人は明智重臣斎藤利三の異父妹である。)

信長の影響力が無くなった三好家は混乱した。十河存保は阿波の三好家臣の要請もあり、かねてより険悪だった細川真之と戦闘状態に入った。この状況を見た元親は、阿波への本格侵攻を開始する。存保を中富川の戦いで撃破し、阿波を手中に納める。続いて天正12年(1584年)6月には十河城を攻略し、讃岐を平定。存保を四国から追い落とした。1585年(天正13年)には伊予の河野氏を制圧し、四国をほぼ平定する。各地で小競り合いが続いたため時期は諸説あるが、四国統一は第二次征伐開戦のわずか3?5週間前とする向きが強い。

第二次四国征伐
信長亡き後、清洲会議で羽柴秀吉が台頭し、天下統一政策を推進した。元親は織田家家臣のうち、秀吉と対立する柴田勝家や織田信孝、和泉や紀州の一揆と結んで秀吉を牽制した。彼らの滅亡後は徳川家康や織田信雄と結んだが、家康・信雄は小牧・長久手の戦いの後に秀吉と和睦したため、長宗我部氏は孤立することになる。

そして紀州制圧が完了すると、秀吉は四国征伐を開始する。秀吉は阿波、讃岐、伊予の三国返上を要求するが、元親はこれを拒絶した。1585年(天正13年)6月、秀吉は自身の出馬は病のため諦めたが、羽柴秀長を総大将とする、10万の軍勢を四国へ送った。

秀長、羽柴秀次らの兵は阿波へ、宇喜多秀家らは讃岐へ、小早川隆景らの毛利氏の兵が伊予へ侵攻。元親は土佐勢6千を含む2?4万の軍勢を動員し、交通の要衝であった阿波の白地城を本拠地に防衛体制を築いて対抗したが、伊予に上陸した毛利軍に金子元宅が敗北する(天正の陣)など戦線が崩壊。讃岐、阿波も次々に羽柴軍の進撃を許したため、元親は8月に降伏した。

長宗我部氏は土佐一国を安堵されたが、元親の三男の津野親忠が人質となった。残り三国は没収され、阿波に蜂須賀家政、讃岐に仙石秀久と十河存保、伊予に小早川隆景が封じられた。その後、秀吉は九州征伐を開始した。まず豊後の大友宗麟救援のため、仙石秀久、十河存保、そして長宗我部氏の四国勢が派遣されることとなり、元親と嫡男の信親は九州に渡った。しかし豊臣軍は島津軍に戸次川の戦いで大敗北を喫し、信親は戦死してしまう。

嫡男であった信親が死んだために、元親は四男盛親に家督を相続させようとした。しかし、次男の香川親和や三男の津野親忠をさしおいての決定であったために、一部の家臣は反発し御家騒動が起こる。盛親の従兄弟に当る吉良親実をはじめとする重臣達が粛清され、長宗我部氏は急速に衰退していった。

2009年01月20日

社会(しゃかい Society)

社会の範囲は非常に幅広く、単一の組織や結社などの部分社会から国民を包括する全体社会までさまざまである。社会の複雑で多様な行為や構造を研究する社会科学では人口、政治、経済、軍事、文化、技術、思想などの観点から社会を観察する。

社会は広範かつ複雑な現象であるが、継続的な意思疎通と相互行為が行われ、かつそれらがある程度の度合いで秩序化、組織化された、ある一定の人間の集合があれば、それは社会であると考えることができる。[2]社会を構成する人口の規模に注目した場合には国際社会や国民国家を想定する全体社会や都市や組織などの部分社会に区分できる。さらに意思疎通や相互作用、秩序性や限定性という社会の条件に欠落があれば全てを満たす社会と区別して準社会と呼ぶことができる。

人間は誕生してから死去するまで社会の構成員の一人であり、また社会の行為者でもある。都市または農村において育ち、家庭や学校などでさまざまな教育を受けながら成長する。この過程で社会に存在している規範や法、宗教や芸術などの文化に触れ、そして家族外の人間関係を拡大していく。これは人間の自我の確立と同時に社会化の過程でもある。

成熟してからは自営業で、または政府機関や企業や軍隊に入り、労働を通じて報酬を得て生活する。これは国民社会、地域社会、家族などの多重的な社会関係を構築する人間の組織化であり、また分業化された社会における協働という社会交換の過程である。このように人間は、社会を形成すると同時に社会に形成され、社会に働きかけながら社会から働きかけられながら活動している。

社会は人口集団、都市形態、経済発展、政治体制、宗教などによって多様性を観察することが可能であり、時代や地域によってさまざまな社会の形態を見ることができる。

語源
19世紀半ばまでの日本語には「社会」という単語はなく、「世間」や「浮き世」などの概念しかなかった。青地林宗が1826年(文政9年)に訳した『輿地誌略』に「社會」ということばが、教団・会派の意味で使用されている。古賀増の1855年(安政2年) - 1866年(慶応2年)の『度日閑言』にも「社會」ということばが使用された。明治時代になると森有礼が1874年(明治7年) - 1875年(明治8年)に編んだ『日本教育策』や福地源一郎が1875年(明治8年)に書いた『東京日日新聞』の社説に社會という用語が使われた。

『翻訳語成立事情』では、福澤諭吉(『学問のすゝめ』第17編 1876年(明治9年)、『分権論』1877年(明治10年)に使用)が英: societyを訳して「社會」という語を作ったという説を提示しているが、年代の前後については以上の通りである。

歴史
社会の起源は人間の本性に求めることができる。動物には、アリやハチ、イヌ、サルのように群を作り集団行動を好む社会性を持つ動物と、ネコのように単独行動を好む動物がある。人間は古来より他の多くの動物と同様に群という小さな社会を形成し、食料を得るため、外敵から身を守るため、その他生存するための必要を満たすための社会であったと推定される。現在でも基礎集団である部族や家族は存在しており、村落や都市の構成要素となっている。また言語、宗教、文化などを共有する人口規模が小さな社会では意思疎通が密接であり、自然発生的なコミュニティが成立する。マッキーバーはこれを共同関心の複合体とし、一定の地域で共同生活するものと定義している。

しかし原始的で素朴な社会は近代において都市化を始めることとなる。都市化とは人口の増大と流動化、経済の工業化などにより、異質な人口が特定の箇所に集中することによって生じるものである。この都市化は言い換えれば社会の近代化でもあった。都市に居住する住民はスラムや公害などの都市問題に直面することとなり、政府は社会状況を改善するための政策に乗り出し始める。また都市では非常に大規模な人口集団が居住しているために従来の社会の性質とは異なる都市社会が成立した。
バク転 ルーシュ ハーブ シニカ テンペラ オーソー スラウ タナトス パンヤゾ いす 夢のカケラ コテージ リターン シーバー ディズム 不死鳥 パドボ 無邪気 アニン シノプシ クリア ラック 君の左手 ライム テストケー ダラス バイア ツルグミ めじり パントモ ニュー ニング エカナ ルノワー シング スカイブル マルメロ パジャマ こむぎ ズボン ウエハース きょうりん ステラ リレー きんかん ドレナ スキーリ パラメデ ローフ アイスティー

偏差値競争の高まった高度経済成長期から今日まで出身や学歴の高さに応じ賃金や処遇、昇進等の優劣が決まる状況を学歴社会などと表されたり、いわゆる肩書きが極度に社会生活における成否を左右する状況を肩書き社会といわれた。近年では、65歳以上の人口が若年層よりも上回る高齢化社会、またそれが加速した状況を高齢社会、超高齢社会というのをはじめ、多様な危機を抱えている社会をマルチハザード社会、ITなど情報通信技術を基本に社会が動く状況を情報化社会と称することがある

2009年01月13日

ビックリマン 悪魔VS天使シール

2006年現在以下の5作品がある。

ビックリマン
『ビックリマン 悪魔VS天使シール』第1弾?第19弾を原作とし、ABC・旭通信社・東映動画制作、テレビ朝日系列にて1987年?1989年放送
新ビックリマン
『ビックリマン 悪魔VS天使シール』第20弾?第24弾を原作とし、ABC・旭通信社・東映動画制作、テレビ朝日系にて前シリーズの翌週より開始、1989年?1990年放送
スーパービックリマン
『スーパービックリマン』を原作とし、ABC・旭通信社・東映動画制作、テレビ朝日系にて1992年?1993年放送
ビックリマン2000
『ビックリマン2000』を原作とし、テレビ東京・NAS・スタジオコメット制作、テレビ東京系列にて1999年?2001年放送
祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン
『ビックリマンひかり伝』を原作とし、テレビ朝日・東映アニメーション制作、テレビ朝日・BS朝日・秋田朝日放送にて2006年?2007年放送
本作はシリーズ中唯一、地上波でのネットワークセールスが実施されなかった。

漫画
悪魔VS天使シール、スーパービックリマン、およびビックリマン2000を元にしてコロコロコミックに連載された漫画、およびその単行本のほか、悪魔VS天使シールに主な登場人物、登場地域を依拠しつつ、大幅にデフォルメを施した少女漫画愛の戦士ヘッドロココが存在する。シール、アニメ、漫画でストーリーが多かれ少なかれ異なっていることが多い。

おちよしひこのスーパービックリマンの漫画は、非常にシリアス(アニメ版も従来に比べれば非常にシリアスではあるが)な内容で、一部の小学生以上の層でも人気となったが、打ち切りになる。これは児童雑誌であるコロコロにそぐわないシリアスで重い内容になってしまったのがその理由であると思われる。

ビックリマンチョコと社会問題
目当てのシールだけを抜き出しチョコレート菓子を捨てる事例、あるいは、大量に買い込んだ為に食べきれなくなったチョコレート菓子を捨てる事例が多発し、食べ物を粗末にする行為が多く報告され全国的に社会問題となった。菓子の購入資金が裕福な年齢層による大人買いと呼ばれる大量購入行為により、品薄になる地域が発生し社会問題に拍車を掛けた。それにともない、一部地域では1人あたりに対する販売個数を制限し(店に入荷した箱数、一箱なら二つまで・二箱なら三つまで)、レジカウンターでの対面販売といった販売対策もとられた。

また、希少価値の高いヘッドをよく当てた人、全く当てることのできない人の間の話で、箱の前から三番目か四番目と八番目がヘッドが当たりやすいという根拠の無いデマも流れた。

他にも、希少度の高いシールを金銭での取引(1000?2000円程度)するといった問題も発生し、金銭取引によるシール購入が問題となった。これらの問題をふまえ、販売元のロッテは「ビックリマン憲章」なる規定を作り、シールの売買の禁止、チョコレート菓子の完食、シールをトレードすることにより親睦を深めるという3ヶ条を推奨した。また、シールの盗難もかなりあったようで、2005年にオンエアされた深夜ラジオ伊集院光 深夜の馬鹿力の中の1コーナーで、「盗んだり盗まれたり」という表題でリスナーから体験談を募ったところ、リスナーの年齢層もあってか大半がビックリマンチョコの話題だった。また、社会問題の最たるものは玩具メーカー「コスモス」によるシールのニセモノ(「ロッテ」の部分を「ロッチ」と改変したりしていた)である。このほか、「ドッキリマンチョコ」といった、明らかにビックリマンを意識した類似品、模倣品も出現した。

公正取引委員会による勧告
このブームが衰え始めた原因は、公正取引委員会による勧告とみられている。公正取引委員会は1988年ロッテに対してシールの価格差を無くす、種類毎の混入率を均一にする、特定のシールに価値が出るような広告をしない、という3つの自粛案を出した。ロッテはこの指導に従い、全シールの価格差を3円前後に抑え、ヘッド、天使、悪魔、お守りの割合を25%均等に振り分けた[要出典]。そのため今までキラキラと光っていたホログラム仕様のヘッドは地味なシールとなり、ヘッドがあたる確率は悪魔と同じ割合にまで引き上げられた。当然の結果としてレアカードであったヘッド、ひいてはカード全体の価値が暴落し、一気にファンが離反するという事態となった。

これに類した事例として、ペプシツイストのおまけにもあった。詳しくはペプシコーラを参照のこと。

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